|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ミスター・ビッグ(Mr.Big)は、イギリスのロック(ポップ・ロック)バンド。ディッケンことジェフ・ペインによって結成され、1977年にヒットした『恋するロミオ(Romeo)』が最もよく知られている〔Roberts, David (2006). ''British Hit Singles & Albums'', 19th, London: Guinness World Records Limited, p. 371. ISBN 1-904994-10-5. 〕。バンドとしての活動期は、1972年から1978年にかけての第1期と、1990年から1998年にかけての第2期、2005年から現在の第3期に分けられる。 ==バイオグラフィ== ミスター・ビッグのメンバーは元々、バーント・オーク(Burnt Oak)という名前で1960年代後期から一緒にプレイしていた。ミスター・ビッグというバンド名での最初の演奏は、1972年、ロンドン、オックスフォード・ストリートのマーキー・クラブ(:en:Marquee Club)で、マネージャーがチラシにバーント・オークの代わりにミスター・ビッグという名前を使ったからだった。マネージャーはビラの変更を拒み、以後バンドはその名前で活動することになった〔CD『ミスター・ビッグ/フォトグラフィック・スマイル』のライナーノート(解説・赤岩和美)には別の説が紹介されている。デイリー・ミラー紙で、ヨーロッパのポルノ・キング(別名ミスター・ビッグ)逮捕の新聞記事が大きく出ていたのを見て、メンバー自ら改名した、ということである。〕。 1974年、ミスター・ビッグはエピック・レコードと契約し、3枚のシングルをリリースした。どの曲もヒットには至らなかったものの、Ayesha Broughの『Lift Off』というテレビのポップ音楽番組と、BBCの警察ドラマ『Softly, Softly: Taskforce』に(俳優兼歌手のポール・ニコラウス(:en:Paul Nicholas)をリード・シンガーに迎えて)出演した。 1975年、モット・ザ・フープルのマネージャーのボブ・ハーシュマンがミスター・ビッグのマネージを引き受けることになった。EMIに移籍してファースト・アルバム『甘美のハード・ロッカー(Sweet Silence)』を発表。このアルバムのプロモーションのために、マイク・マンスフィールドの『Supersonic』や『Superpop』に出演した。11月には、クイーンの『オペラ座の夜』ツアーをサポートした。 1976年、ミスター・ビッグは自身のUKツアーを行い、さらにスウィートのヨーロッパ・ツアーをサポートし、デンマークやオランダのテレビに出演し演奏した。それからカリフォルニア州ロサンゼルスで、ヴァル・ギャレイをプロデューサーに迎えて、セカンド・アルバム『フォトグラフィック・スマイル(Mr Big)』をレコーディングした。 1977年、ミスター・ビッグは2月から4月にかけて、トム・ペティ、ジャーニー、カンサス、ザ・ランナウェイズと一緒にアメリカ・ツアーを行った。一方、アルバム『フォトグラフィック・スマイル』からシングル・リリースされた『恋するロミオ』が、BBCの一時的放送禁止措置にもかかわらず、全英シングルチャートで第4位になった。この曲は日本、オーストラリア、アメリカ合衆国、ヨーロッパの一部の国でも好セールスをあげ、南アフリカ共和国のバンドがカバーもした。続けて第2弾シングル『故郷への慕情(Feel Like Calling Home)』をリリースしたが、前作ほどの成功は得られず、チャートも35位止まりだった〔。ミスター・ビッグはイギリスやヨーロッパのテレビに出演し、自身のUKツアーも行った。 1978年、モット・ザ・フープルのイアン・ハンター(:en:Ian Hunter (singer))をプロデューサーに迎えてサード・アルバム『Seppuku』をレコーディングし〔このアルバムは当時未発表だったが、2001年になってようやくリリースされた。〕、再びUKツアーを行った。アルバムからシングル・リリースした『Senora』をBBCの『トップ・オブ・ザ・ポップス』で演奏するが、ほどなくしてバンドは解散してしまった。 ディッケンとベーシストのピーター・クロウザーはブロークン・ホーム(Broken Home)というバンドで活動を続け、2枚のアルバムをリリース、1980年にはレディング・フェスティバルに出演、さらにノルウェーとドイツで小ヒットを飛ばした。 ブロークン・ホーム解散後のディッケンは、さまざまなミュージシャンとコラボレートする一方で、ソロとしても活動するが、1989年には再びミスター・ビッグとしての活動を開始、この時期に録音された楽曲は1996年にアルバム『レインボー・ブリッジ(Rainbow Bridge)』としてディッケンの自主レーベルより発売された。しかし、当時アメリカに同名人気バンドがいたため、混同を避けるためにアルバムはMr Big UK名義で発表された。 ディッケンはその後画家としての活動もはじめ、平行して音楽活動を続けたが、次第に表舞台からは姿を消した。 2005年、ディッケンはエディ・カーターとともに三たびミスター・ビッグとしての活動を開始。2007年にはイギリスのマイナー・レーベル angel airより、ディッケンの活動を総括するようなベスト・アルバム『DICKEN』が発売された。これにはディッケンのソロ時代の曲や'Mr Big UK期の貴重な音源にまじり、新たに録音された新曲が収められた。 2011年には実に33年ぶりとなるミスター・ビッグ名義での4枚目のアルバム『Bitter Streets』が完成。同年7月に発売された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミスター・ビッグ (イギリスのバンド)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|